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jacuzzi キャビンの広さはビジネスホテルなみと書きましたが、バスルームも広さは一坪程度のビジネスホテルなみのもの。違うのは、その広さでは西欧式のバスタブが入らないので、というよりバスタブを入れないので狭くても大丈夫ということでしょうが、 シャワーのみの設備です。おそらくクルーズ船はどこも、外側の少し高価な部屋でもシャワーのみです。
 最近は浴槽をあまり使用しない人も多いので、そういう人は特に気にならないでしょうが、どうしても自宅で毎日浴槽にゆったり浸からないと気がすまない人にはクルーズ旅行は無理だということになります。

Bream クルーズに付いての記事が間遠になってしまいましたが、家内の仕事の関係や私が通っている語学学校のつきあいの都合で深夜帰宅が続いたからです。もう二週間経ってしまいましたから、記憶が本当に遠のいてきています。それだけ次の旅行の時にはまた新鮮な感覚で参加できるのかも知れません。

 ところで船で使う食材は母港で一度の仕入れるのかと思ったらそういうことではないそうです。野菜、肉、魚介類と違った港で仕入れられます。私たちの航路ではスペインのバレンシアで魚介類を仕入れるそうで、それを聞いた家内は、バレンシアのディナーのメインは必ず魚を食べると意気込んでいました。
 私は「仕入れてすぐに提供されるとは決まっていないんじゃないかな」と懐疑的でしたが、やはり料理の勘は家内のほうが上手です。みごとに当たっていて、メインの魚は鯛をソテーしたものでした。写真は私が撮っていますから、残念ながら家内の鯛が小さく写っていますが、かなり大きいものです。この尾頭付きを一匹まるままがメインですから、食事の量が半端ではないことが分かっていただけるかも知れません。スターターに肉や魚を食べてると、夕食が二食分という感じです。しかも、パンがとてもおいしい。パンは仕入れているのではなく、船内の窯で毎日焼いたフレッシュなもの。あらためて実は英国のパンはあまりおいしくないのだということを再認識させられたとても美味しいものでした。これがかごに山盛りです。うっかりコースの間に二三個食べてしまうほどですが、そうなるとデザートがかなり重荷になりますので、極力手を出さないことにしました。

 同じものと、あとまだピザを含めた多種類のパンが朝昼にいくらでも食べられますから、ここは我慢するしかありません。

 手荷物だけ持って、やっと指定された船室に着くとドアは開いていて既に荷物は運び込まれています。そして、このあと船内の支払いや乗り降りのときの身分証明などに使うカードが人数分(もし子供がいれば子供の分も)置いてあります。これが、キャビンの金庫の鍵にもなります。

 キャビンは、よほど高い料金を払っていないかぎり恐らく普通の金銭感覚の持ち主であれば内側の、つまり窓の無い部屋でしょう。私がそうでしたから、その説明をします。
 部屋の広さは安いビジネスホテルに泊まりなれている人だったら「お、意外に広いじゃないの」というくらいのもので、期待しなければ、十分満足できます。
 化粧台を兼ねた机と、もう一つ机と鏡がありました。椅子は一脚のみ。ベッドはシングルを二つ並べたもの。つまり、クイーンサイズのダブルベッドとしてセッティングしてあります。衣装ダンスはかなり余裕がある三本です。しかし、ビジネスホテルでもよくあるスーツケースを置くスペースはありません。それではスーツケースは何処に置くのかというと、ベッドの下です。これも、ベッドを使い慣れている人であれば、容易に気付くことですが、日本のビジネスホテルなどではあまりそういう使い方はしないかも知れません。

 さて、そんな風に片づけが済んでもまだ午後四時前であれば、ウェルカムランチがまだ食べられますから、お腹の具合を見て食べに行くことになるでしょう。夕食の時間は午後七時と午後九時の二班に分けられています。さすがに三千名もいる乗客を一度に入れるだけのレストランと給仕を用意するのは無理なんですね。
 私たちは当然七時の組を要請していましたが、「乗船されるまでわかりません」とのことでした。夜九時というのは、もちろん現役で仕事をしているときだったら、特段遅いという時間でもありませんが、退職した今では八時には夕食を食べ終わる習慣がありますから、夜遅かったらいやだなと思っていましたが、幸い七時の組でした。これもキャビンに入ったときに時間とレストランの場所と席を書いた紙が置いてあるので知ることができます。
meeting point 私たちが選んだクルーズは、イタリアのサヴォナ港を起点に一週間で回るものですが、ロンドンのガトウィック空港を飛び立った飛行機は、イタリアのジェノヴァ空港に到着しました。この航空券は船会社が手配した団体Group Allocationのチケットです。そのために、おそらく料金も安いのでしょうが、乗船までの手順はスムーズに行きました。

 国際線の到着ロビーでは、よくタクシーやバスの乗務員が顧客の名前を書いた手書きのカードを手に立っているのを見かけます。今回もそういうものを予想していたのですが、このコースを経由する乗客が多いからでしょう、もっと完備したものでした。ジェノヴァ空港の到着ロビーに、上の写真のような立て札が立っていて、その矢印の先には、この船会社専用の待合室がありました。

Mediterranean 2012年4月29日から初めてのクルーズ旅行にでかけてきました。イタリアからスペインフランスを回る西地中海のコースで、まずはお試しということで英国からは手軽なコースだろうと行くことにしました。この旅のことを何回かに分けて書くことにします。

 出発地はサヴォナというイタリア北部の小さな港町です。そこから、イタリア中部のチヴィタヴェッキアに着いてローマ観光します。次は南のシシリー島にあるパレルモに行きます。次は一日航海して翌日にスペインのマリョルカ島にあるパルマです。その次はスペイン本土のヴァレンシア、翌日はフランスのマルセイユで、次の日にもとのサヴォナに戻るという七泊八日のクルーズでした。

 さて、初日はロンドンのガトゥィックという空港からジェノヴァまでブリティッシュエアの飛行機で飛びました。普通はロンドンからこの空港まではガトゥィック・エクスプレスという電車で行くのでしょうが、私たちはロンドン市内の公共交通機関は完全に無料ですから、そのメリットを最大限生かすために、イースト・クロイドンまではフリーダム・パス、そこからは普通のファースト・キャピタル・コネクトの電車で行くことにしました。これは、ロンドン・ブリッジ発で、途中はイースト・クロイドンにしか止まらないという、実質的にガトウィック・エクスプレスと同じ、私の住んでいるところからだとそれより便利という電車ですから、非常に経済的に速く行くことができました。

 初めてのヨーロッパ大陸への飛行機の旅ですから、窓際に席を取って眺めていたら、フランスの平野を過ぎたところでレマン湖が見えたらすぐにアルプス越えで、美しい山脈を眺めることができました。旅の期待は大きく高まります。
bluesky 昨日、西地中海のクルーズ旅行から帰ってきました。日中は20度を越える温暖な気候のローマ、シシリー、マヨルカ、ヴァレンシア、マルセイユと回ってきたわけですから、まだ昼間なのに上着を着ていても寒い、マフラーを巻いている人もいるロンドンに戻ると本当に気候が違うなと実感します。

 ところで、ロンドンと聞くと「霧のロンドン」「曇り勝ち」のイメージがあり、実際に心配されたりもしますが、実際にはそんなことはありません。今日の天気も玄関から空をみあげるとこの通りきれいな青空が広がっています。東京、名古屋、大阪など、日本でも比較的過ごしやすい地域にも10年以上暮らしましたが、その比較でも空気のさわやかな分、ロンドンのほうが過ごしやすいくらいです。
crystal palece 昨日、久しぶりにタワーブリッジに行きました。タワーブリッジのすぐそばには、シティーホールをはじめとする、ガラス張りの建物が軒を並べており、石造りか煉瓦造りで統一されているロンドンの街並みを見慣れると、ちょっと違和感を感じていた場所です。
 さて、タワーブリッジには下からは殆ど目立ちませんが、ガラスで囲まれた回廊があって登って下を見下ろすことができます。今回は初めてこの場所に上ってみたのです。そこで意外にも「現代にも水晶宮は残っている」ということに気づきました。
 ロンドンで使用しているSamsunのGalaxy SIIのOSをIce Cream Sandwichといわれる最新版にUpdateしました。私の携帯は日本でいうプリペイド方式の契約にしているので、一番遅く順番が回ってきたもののようです。
 使用感は恐れていたより改善の度合いが多い、PCサイトのリンクボタンなどが確実に操作できるようになったのは、大きな改善点だと感じています。

 Updateそのものにはほとんど支障ありませんが、ただ一点、データ通信がWiFiのみしかできなくなったのです。このことは、外出して初めて気が付きました。
 色々原因を調べてやっと修復できましたが、まだこの版でのデータ通信の設定について情報はほとんどありませんから、心覚えに書いておきます。
ゴウアー街のホテル 私が前回ロンドンの語学学校に通うために渡英した直後から、「漱石の足跡」として5編のブログ記事を書きました。その一回目がゴウアー街76番地の宿についてでした。これを書いたときに参照したものは「漱石の五つの下宿」などと書いてあったので、私もそういう風に記述していますが、最近になって「漱石と不愉快なロンドン」などの詳細な調査に基づく研究を参照すると、私のイメージとはかなり異なっていたことに気付きました。
richard_ii.jpg 続けて三回も農民反乱について書きましたが、私が興味を持ってこのことを書いたのは、もちろん、近所のブラックヒースが、この反乱でケントからロンドンに向って侵攻してきた農民たちが終結した場所だからですが、単にそれだけではありません。

 もともとブラックヒースに農民が終結したことを知った直接のきっかけはWatt Tyler Roadというバス停がブラックヒースの草原の隅にあるのに気付いたからです。私の高校生時代、世界史で習ったのは農民反乱ではなく「ワットタイラーの乱」というものでした。その名称から、ワットタイラーがこの乱の主要な人物なのであろうと理解していたので、調べ始めたのですが、前の記事で説明したように、どうもそうではないらしいことがだんだんに分かって、逆に興味を引かれるようになったのです。