先日買ったWorld Factfileを学校に持って行っては同級生に見せたりしてます。「立派な本!何ポンドだった?」と聞かれて「19.9ポンド」と言ったら目を丸くしますが、一息あとに「それが5ポンド」というと、納得されるというパターンを楽しんでます。
トルクメニスタンから来た生徒は、いつも新入生の自己紹介のときにお返しの自己紹介で自分の国のことだれも知らないことをちょっと嫌がっていたので、この本でトルクメニスタンのページを見せてあげると、とても喜んでました。私もはじめてその位置や人口などの情報を知りました。もし、これから旅行でトルクメニスタンに行くことがあっても知り合いが居るので心強いです。
コモンウェルス(Commonwealth)と聞いてピンと来る方はそう多くないと思います。私も娘が英国留学してから関係情報に気を留めるようになったので記憶に残っているだけでした。
コモンウェルスが普通は「英連邦」や「イギリス連邦」と邦訳されていると聞けば、地理や歴史に興味のある人たちであれば、「知ってる、カナダに先日ウィリアム王子夫妻が行かれてたのがそうだよね。まだ英国女王が君主として君臨してるみたいだね。」「なに?もうそんなもの無くなってるはずだよ、昔大英帝国ってのがあったけど、既に第二次世界大戦前に崩壊したはずだ」などの声が出てくるのではないでしょうか。
ロマンス語系の外国語を学習された方はよくご存知なんでしょうけど、第二外国語にドイツ語をとった私も、いちおう知識としては、名詞に男性と女性があることを聞いてはいました。
昨日、通っている語学学校の生徒で、スペイン人の少年が「性別はないのか」と聞きました。もちろん、彼も英語にそんな区別はないのは百も承知で、だけど一応聞いてみたかったんでしょう。
100年前に夏目漱石が苦しみながら二年間のロンドン滞在のうちに移った五ヶ所の下宿をたどってみましたが、いろいろと考えさせられるものもあります。
一番は彼の苦しい生活ですが、文筆家の創作物から内面を判断するのは難しい面もありますし、事実を追求してもしかたがありません。それを置いては痛切に感じたのはその時代の建物がよく残っていること。今でも簡単にそれを探索することができることです。
100年前の建物も住所もそのまま使われているからですが、翻って漱石が生まれ暮らした東京、松山、熊本で同じことができるでしょうか。帰国後三年間住んだ旧居は明治村に保存されているようですが、いわば昆虫が標本として虫ピンで留められているようなものです。
英国に来てから、いろいろなところを見物してあるいていますが、郊外とはいえかなり都心に近い高級住宅地であるチェルシーに来てみたのにはわけがあります。それは、渡英に先立って「倫敦塔」などの英国関連著書があり、彼自身英語教師として少なからず英国文学とのかかわりがあり、1900年といいますから100年以上前に渡英経験がある夏目漱石を読み直してきたからです。
読み直したというよりは、「我輩は猫である」「坊ちゃん」「道草」などを中学生のころによんだだけどいう、普通の日本人と同じ程度の漱石に関する読書暦しかありませんでしたから初めて読んだといっても間違いじゃありません。「吾輩は猫である」でさえ「こんなこと書いてあったかなぁ」と思うことしばしばで、おそらく中学生のころは読んでいるうちに退屈になって読み飛ばしたものと思われます。人生経験をつむと、漱石が書いていることもよくわかる部分が多いですし、難しいところは「また衒学的な悪い癖がでてる」程度に読み飛ばしますから、面白いだけで全く苦になりませんでした。
その漱石がロンドン時代の思い出を書いているものの中に「カーライル博物館」がありますが、その博物館がチェルシーにあるからというのが今回の小旅行の動機です。
「我輩は猫である」に『しかし自分が胃病で苦しんでいる際
2011年7月2日(土)は久しぶりに家内と出かけました。行き先はロンドンの南西の郊外ウィンブルドンです。ちょうどイングランドテニスクラブのチャンピオンシップが開催されていて、これは世界の四大大会のひとつだと言われているそうで、テニスは全くの門外漢である私でも日本にいるころからよく知っています。
BBCでも試合は細大漏らさず中継されていて、話の種に是非行ってみようとでかけました。
昨日は英語学校への登校からいつものコースを外れて54番でルイシャム、185番に乗り換えてヴィクトリア、それからピカディリーを通るバスに乗り換えてハイドパークの南側を通って行きました。
ハイドパークといえば、1851年、ちょうど私が生まれる100年前に第一回世界万国博覧会がロンドンで開かれたときの会場です。日本が参加したのは第二回のパリ万博のときからですが、ロンドン万博はヴィクトリア朝の繁栄を印象付ける一大イベントとして記憶されています。