2011年9月アーカイブ

 チャールトン・ハウスにまつわる人のことを調べて書いていると、英国の大転換期の光景が現実感をもって迫ってきます。年代順に出来事をまとめて見ます。
☆アダム・ニュートン=チャールトン・ハウス建設者
☆ヘンリー・ニュートン=アダム・ニュートンの次男
  • 1603 スコットランドのジェームズ6世がイングランドの王位に付く。
  • 1605 アダム・ニュートンがイングランド帰化、ダーラム司教就任
  • 1606 アダム・ニュートンがチャールトン・マナー購入
  • 1607 チャールトンハウス着工
  • 1610 家庭教師終了
  • 1612 チャールトンハウス完成 ヘンリー王子死去 アダム・ニュートンがチャールズ皇太子の出納長官に就任
  • 1618 ヘンリー・ニュートン誕生
  • 1620 アダム・ニュートンが準男爵(baronet)に叙せられると同時にダーラム司教売却
  • 1625 チャールズ1世王位継承
  • 1630 アダム・ニュートン死去
  • 1632 ヘンリー・ニュートン法曹院(Inner Temple)に加盟を許される
  •         〃       ケンブリッジで学士号(MA)を取得
  • 1642 エッジヒルの戦い(英国内乱の始まり)ヘンリー・ニュートン参戦
  • 1645 ネーズビーの戦いで王が敗北
  • 1648 ヘンリー・ニュートンの領地が議会に没収される
  • 1649 チャールズ1世処刑 共和政の始まり
  • 1660 チャールズ2世王位に就く 共和政の終わり
 年表でわかるように、チャールトン・ハウスの主はスコットランドの学者の系統で、スコットランド王がイングランドを統治するようになったこととあわせて昇進して貴族にまでのぼります。ところが、人気の無かったチャールズ1世のために内乱がおき、当然王に従うしかなかったチャールトン・ハウスの主は没落することになりました。
 この間、わずか半世紀の出来事でした。チャールトンは学者あがりの新興貴族に領有されたために、その後も長く農業が振興されなかったと考えられます。

 
 また、サンドピットといわれる砂やチョーク、ライム・ストーン(石灰岩)などを産出する高山が領内に発見されたため、農村というよりも労働者の村として近世まで経営されることになりました。19世紀になって、他の地域に送れて囲い込みがおこなわれたのはそういう経緯のためであろうと想像できます。
 細かく違いはあるものの、チャールトン・パークをはじめロンドンにある緑地や広場は、近年整備されたものではなく、中世からの歴史的光景であることがわかります。

charlton house 昨日はオープンハウス・ロンドンの初日(2011年9月17日)に旅行記作家(肩書きはいくらもあるんですが)のデフォーの墓参りを兼ねてシティーCity of Londonを訪ね、17世紀のロンドンの様子を垣間見てきました。

 今日は同じオープンハウスの二日目に、何度も触れているご近所のチャールトン・ハウスCharlton Houseを訪ねたことを書きます。ここは入会地という記事で触れた囲い込みを行った領主のマナーハウスでした。
 しかし、これはもともとマナーハウスとして建てられたものではありません。1607年から12年の間の5年を費やしてダーラム司教Dean of Durhamであったアダム・ニュートンが、ジェームズ一世の子供のヘンリー王子の養育のために建てたものです。そこで、この建物は「ジャコビアンのもっとも美しい建物the finest and best preserved Jacobean mansion in the London area」と言われるわけです。(ジャコブはジェームズのラテン語読み)

モニュメント 先に書きましたホーンフェアというブログ記事のなかで、ダニエル・デフォーについて触れましたが、彼の著書である'A Tour Through the Whole Island of Great Britain'は、非常に興味深いものです。
 現在の英国は古いものがよく残っていて、時代劇映画の撮影もセット無しで街中で撮影できるとまで言われています。その古き良き英国の姿が出来上がっていったのが、まさにデフォーの時代だったのです。

 彼が生まれたのは1660年のことで、彼が6歳のときにロンドンは大火に見舞われます。上記の彼の著作にもこのことは書かれていますが、これ以降は木造家屋が禁止され、現在のロンドンの街並みができあがったので、現在の英国への変貌を象徴する出来事だったのです。

 昨日と今日(2011年9月17・18日)は、ちょうどロンドンのオープンハウスの日です。色々な建物に入ることができる日ですから、私も出かけることにしてデフォーのお墓にも参ってくることにしました。


horn fair.jpeg 昨日書いた「入会地」という記事にでてきたチャールトン・パークの緑地はホーン・フェアというお祭りで有名だったところです。そこは一度「夏祭り」でもご紹介しました。どんなお祭りだったかという説明のためにはよく「ロビンソン・クルーソー」で有名なダニエル・デフォー本が引用されます。そこには下記のように書いてあります。
Charleton, a village famous, or rather infamous for the yearly collected rabble of mad-people, at Horn-Fair; the rudeness of which I cannot but think, is such as ought to be suppressed, and indeed in a civiliz'd well govern'd nation, it may well be said to be unsufferable. The mob indeed at that time take all kinds of liberties, and the women are especially impudent for that day; as if it was a day that justify'd the giving themselves a loose to all manner of indecency and immodesty, without any reproach, or without suffering the censure which such behaviour would deserve at another time.
 この紹介文を読んでちょっとばかりあきれた方も多いでしょう。でも、書いたのがダニエル・デフォーですから、大げさに書いてありますから、割り引いて考えたほうが良いんじゃないかと思います。ところが、彼が見た18世紀初頭のチャールトン・ホーン・フェアは彼が主張したとおり19世紀の終わりがけには法律により弾圧されてしまいます。

入会地(common)

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clapham common.jpegクラパム・コモン
「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情ちゅうじょう)をあわれ)んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまりしげ)からざる大道の横手馬乗場へと余をらっ)し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、
上記は夏目漱石の「自転車日記」の一節です。五ヶ所転々とした漱石はクラパム・ジャンクション近くのチェース81番地(81 The Chase, London SW4 0NR)に越して、後救出されるまでここで鬱々とした留学(単に古本を買って読んでるだけのものを留学と呼ぶなら)生活をすごしました。


放浪記

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放浪記.jpeg 青空文庫で林芙美子の「放浪記」を読みました。思い出せば、鹿児島の桜島に古里温泉というところがあり、中学校の修学旅行で立ち寄りました。また、大学のときに九州一周ドライブでも立ち寄りました。記念碑のようなものがありましたが、何のことかよくわからず、感心したらいいのかどうか迷ったことだけを覚えています。

 今回「放浪記」を読んでやっと分かりましたが、林芙美子の母親の出身がここの温泉宿なのです。林芙美子自身もしばらくここに預けられたことがありますが、馴染めず小学校三年くらいの年齢で大阪に居る両親のところに単身戻った、つらい思い出のところです。
 作品中ではまったく好意的に書かれていないのですが、観光名所にしてしまうのは、紫式部がほんのしばらくいたために源氏物語のゆかりの地にしてしまったり、万葉集に流刑された男と都の女の歌が贈答されたものが半分を占めるという特異な巻があるために流刑地が万葉集の里にされた福井の武生みたいなものです。

青空文庫

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青空文庫.jpeg 携帯電話をシンビアンからアンドロイドに換えて、変わったのはフェイスブックの使いでがよくなったことです。それと、趣味でやってる為替取引がやりやすくなったこと。今までだと、パチンコでいえば玉をセットしてあとは自動であなたまかせにしている感じだったのが、今では刻々の値動きを知ることができるので、玉を見ながら打ち方を調整し、流れが変わったらやめたり始めたりって感じでしょうか。オンラインゲームみたいなものですが。

norwood builder.jpeg 先日、アンドロイド携帯を手に入れて使っていますが、新しい使い方はもちろん、PCでやっていたことを代替している部分もあります。いつでも身近にありますからPCより使い勝手がいい部分もあるからです。
 その一番は電子ブックの閲覧です。紙の本は絶対になくならないとは思いますが、電子ブックならではの利便性が携帯電話で閲覧することで飛躍的に高まったと思います。PCより格段に読みやすいのです。また、私は新刊本はもともと読みませんから、日本の本でも英国の本でも欲しいものはほぼ無料でダウンロードできます。昨日読んだのが「ノーウッドの建築家」'The Adventure of the Norwood Builder'という「ホームズの帰還」'The Return of Sherlock Holmes'のなかの短編です。

 シャーロックホームズは、日本で文庫本ですべて翻訳されていますから全部読みました。それで、頭に入っているので非常に読みやすいわけですが、こんな短編でも読むのは一日がかりです。ここで出てくる地名が題名にあるノーウッドと事件に巻き込まれた事務弁護士の家があるブラックヒースです。

walking mob.jpeg アンドロイドの携帯を買って一週間が経ちました。買った経緯は書きましたが、使い勝手を書き留めておきたいと思います。

 英国で購入したものですが、日本語化は簡単にできたことは書いた通りです。日本の最新機種と書きましたが、実は色変わりのものが発売されるのを見て私が最新機種と思っただけで、実は英国とほぼ同時に日本でも発売されていたとのことです。

英語習得状況

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 ロンドンで語学学校に通いはじめて2ヶ月が経過しました。Pre-Intermediateという全部で6段階ある一般過程の中の下程度のところで学習しています。普通は日本人がロンドンの語学学校に通うのは、企業でロンドン赴任したか、留学したので語学力補完のために通う、あるいは外国語習得が得意でさらに磨きをかけにくるなどで、こういう低いクラスで学習する人はわざわざ多額の費用をかけて語学を学びにくることはしないでしょう。

 このクラス分けはどうやるかというと、筆記試験で簡単な文法問題を多数解いて、その結果で単純に分けます。そのため、読み書きが得意か、会話ができるかどうかなどは全く考慮の対象外です。そこで私のように英語が得意でない日本人でも、基本的なことを教えてくれるだろう下のクラスではなく中程度のクラスに分類されるわけです。

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