チャールトン・ハウスにまつわる人のことを調べて書いていると、英国の大転換期の光景が現実感をもって迫ってきます。年代順に出来事をまとめて見ます。
この間、わずか半世紀の出来事でした。チャールトンは学者あがりの新興貴族に領有されたために、その後も長く農業が振興されなかったと考えられます。
また、サンドピットといわれる砂やチョーク、ライム・ストーン(石灰岩)などを産出する高山が領内に発見されたため、農村というよりも労働者の村として近世まで経営されることになりました。19世紀になって、他の地域に送れて囲い込みがおこなわれたのはそういう経緯のためであろうと想像できます。
細かく違いはあるものの、チャールトン・パークをはじめロンドンにある緑地や広場は、近年整備されたものではなく、中世からの歴史的光景であることがわかります。
☆アダム・ニュートン=チャールトン・ハウス建設者
☆ヘンリー・ニュートン=アダム・ニュートンの次男
- 1603 スコットランドのジェームズ6世がイングランドの王位に付く。
- 1605 アダム・ニュートンがイングランド帰化、ダーラム司教就任
- 1606 アダム・ニュートンがチャールトン・マナー購入
- 1607 チャールトンハウス着工
- 1610 家庭教師終了
- 1612 チャールトンハウス完成 ヘンリー王子死去 アダム・ニュートンがチャールズ皇太子の出納長官に就任
- 1618 ヘンリー・ニュートン誕生
- 1620 アダム・ニュートンが準男爵(baronet)に叙せられると同時にダーラム司教売却
- 1625 チャールズ1世王位継承
- 1630 アダム・ニュートン死去
- 1632 ヘンリー・ニュートン法曹院(Inner Temple)に加盟を許される
- 〃 ケンブリッジで学士号(MA)を取得
- 1642 エッジヒルの戦い(英国内乱の始まり)ヘンリー・ニュートン参戦
- 1645 ネーズビーの戦いで王が敗北
- 1648 ヘンリー・ニュートンの領地が議会に没収される
- 1649 チャールズ1世処刑 共和政の始まり
- 1660 チャールズ2世王位に就く 共和政の終わり
この間、わずか半世紀の出来事でした。チャールトンは学者あがりの新興貴族に領有されたために、その後も長く農業が振興されなかったと考えられます。
また、サンドピットといわれる砂やチョーク、ライム・ストーン(石灰岩)などを産出する高山が領内に発見されたため、農村というよりも労働者の村として近世まで経営されることになりました。19世紀になって、他の地域に送れて囲い込みがおこなわれたのはそういう経緯のためであろうと想像できます。
細かく違いはあるものの、チャールトン・パークをはじめロンドンにある緑地や広場は、近年整備されたものではなく、中世からの歴史的光景であることがわかります。
昨日書いた
青空文庫で林芙美子の「放浪記」を読みました。思い出せば、鹿児島の桜島に古里温泉というところがあり、中学校の修学旅行で立ち寄りました。また、大学のときに九州一周ドライブでも立ち寄りました。記念碑のようなものがありましたが、何のことかよくわからず、感心したらいいのかどうか迷ったことだけを覚えています。
携帯電話をシンビアンからアンドロイドに換えて、変わったのはフェイスブックの使いでがよくなったことです。それと、趣味でやってる為替取引がやりやすくなったこと。今までだと、パチンコでいえば玉をセットしてあとは自動であなたまかせにしている感じだったのが、今では刻々の値動きを知ることができるので、玉を見ながら打ち方を調整し、流れが変わったらやめたり始めたりって感じでしょうか。オンラインゲームみたいなものですが。
先日、アンドロイド携帯を手に入れて使っていますが、新しい使い方はもちろん、PCでやっていたことを代替している部分もあります。いつでも身近にありますからPCより使い勝手がいい部分もあるからです。
