チャールトン・ハウス(Charlton House)

| コメント(0) | トラックバック(0)
charlton house 昨日はオープンハウス・ロンドンの初日(2011年9月17日)に旅行記作家(肩書きはいくらもあるんですが)のデフォーの墓参りを兼ねてシティーCity of Londonを訪ね、17世紀のロンドンの様子を垣間見てきました。

 今日は同じオープンハウスの二日目に、何度も触れているご近所のチャールトン・ハウスCharlton Houseを訪ねたことを書きます。ここは入会地という記事で触れた囲い込みを行った領主のマナーハウスでした。
 しかし、これはもともとマナーハウスとして建てられたものではありません。1607年から12年の間の5年を費やしてダーラム司教Dean of Durhamであったアダム・ニュートンが、ジェームズ一世の子供のヘンリー王子の養育のために建てたものです。そこで、この建物は「ジャコビアンのもっとも美しい建物the finest and best preserved Jacobean mansion in the London area」と言われるわけです。(ジャコブはジェームズのラテン語読み)

ゲート ヘンリー王子は18歳で亡くなったため、ここが王室の居城となることはありませんでした。その後はアダム・ニュートンの別荘となり1620年にダーラム司教を退任してから1630年に亡くなってチャールトン教会に葬られるまで10年ほど隠居所として使われたのです。ジョン・イーヴリンJohn Evelynという日記作家はこう言っています(ジョン・イーヴリンはアダム・ニュートンの息子のヘンリーと知り合いだった)「one of the most noble in the world, for city, river, ships, meadows, hills, woods and all other amenities.」
 イーヴリンの言う眺めは現在ではチャールトン・ハウスの前面の斜面にはフラットが建ち並んでいますので、棟の間から垣間見ることになりますが、カナリーウォーフの摩天楼が林立するのが見えますから当時の光景は十分想像できます。
リス  アダムの死後にチャールトン・ハウスを相続したヘンリーはすぐにチャールトンを離れることになります。というのも、1642年の有名なエッジヒルの戦いに 国王軍として参戦したからです。つまり彼はオリバー・クロムウェルと戦ったわけで、デフォーと同じ墓地に葬られていたクロムウェル兄弟の父親の時代である ことがよくわかります。また司教であり王子の教育係の父親と騎士である息子ということで、当時の宗教界と世俗界の関わりがよくわかります。

裏庭 その後1658年にこのハウスを含めた領地は後にダウン子爵Viscount Downeとなるウィリアム・ドーシWilliam Ducieに買い取られます。1679年に彼が亡くなってから東インドの金持ちに買い取られたり、転々と所有者が代わりますが、デフォーが紀行文の中に書いたホーンフェアのありさま(記事参照)は、この時代のことです。
 その後には歴史上ただ一人の暗殺された首相として知られるスペンサー・パーシヴァルSpencer Percevalもこのハウスに住んでいます。彼はやはりチャールトン教会に葬られました。

 そんなことがあってから、マリオン・ウィルソン家Maryon-Wilson familyが買い取り、1829年にチャールトン・ハウス前の入会地を囲い込んだという歴史につながっていき、現在のチャールトンパークの素晴らしい緑地が保全されることになります。イングランド南東部の趨勢よりも囲い込みが遅れたのは、領有が不安定で農業経営熱心ではない領主が多かったことが影響しているのかも知れません。
  チャールトン・パークの素晴らしさは緑地だけではありません。緑地なら他にも素晴らしいところがいくらでもあるのが英国のよさですが、 Maryon Wilson ParkやMaryon Parkと呼ばれるところが山あり谷ありの森となっていて、日本の里山を思わせる公園です。一部は競技場になっていて、ザ・ヴァレイ・スタジアムThe Valley Stadiumがチャールトン・アスレティック・フットボール・クラブ(Charlton Athletic Football Club)の本拠地になっているので、ご存知の方も多いかも知れません。
 この地域を昨日散策してテムズ河まで行ってしまいました。次回ご紹介したいと思います。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://bloggerjp.com/blogmaster/mt-tb.cgi/2032

コメントする

このブログ記事について

このページは、安永が2011年9月19日 06:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「デフォーの墓地(Bunhill Fields)」です。

次のブログ記事は「チャールトンの歴史(History)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。