ここは、長く荒地で山賊が出るので有名だったのですが、シャーロックホームズが活躍したころ、20世紀の初めには既に宅地開発されて新興住宅地となっていたことも書きました。英国で最初、つまり世界最初のラグビークラブ、そこにワトスンも所属していたことが書かれています。
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☆アダム・ニュートン=チャールトン・ハウス建設者
☆ヘンリー・ニュートン=アダム・ニュートンの次男
昨日書いた「入会地」という記事にでてきたチャールトン・パークの緑地はホーン・フェアというお祭りで有名だったところです。そこは一度「夏祭り」でもご紹介しました。どんなお祭りだったかという説明のためにはよく「ロビンソン・クルーソー」で有名なダニエル・デフォーの本が引用されます。そこには下記のように書いてあります。Charleton, a village famous, or rather infamous for the yearly collected rabble of mad-people, at Horn-Fair; the rudeness of which I cannot but think, is such as ought to be suppressed, and indeed in a civiliz'd well govern'd nation, it may well be said to be unsufferable. The mob indeed at that time take all kinds of liberties, and the women are especially impudent for that day; as if it was a day that justify'd the giving themselves a loose to all manner of indecency and immodesty, without any reproach, or without suffering the censure which such behaviour would deserve at another time.この紹介文を読んでちょっとばかりあきれた方も多いでしょう。でも、書いたのがダニエル・デフォーですから、大げさに書いてありますから、割り引いて考えたほうが良いんじゃないかと思います。ところが、彼が見た18世紀初頭のチャールトン・ホーン・フェアは彼が主張したとおり19世紀の終わりがけには法律により弾圧されてしまいます。
「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情上記は夏目漱石の「自転車日記」の一節です。五ヶ所転々とした漱石はクラパム・ジャンクション近くのチェース81番地(81 The Chase, London SW4 0NR)に越して、後救出されるまでここで鬱々とした留学(単に古本を買って読んでるだけのものを留学と呼ぶなら)生活をすごしました。