散歩の最近のブログ記事

Blackheath1 私が毎週のように散歩するグリニッジ・パーク。この公園はブラックヒースBlackheathという草原の一部です。ヘンリー八世のときには、既に王室の別邸があり、英国海軍の拠点となっていることは、既にピョートル大帝のことを書いたときにも触れました。
 ここは、長く荒地で山賊が出るので有名だったのですが、シャーロックホームズが活躍したころ、20世紀の初めには既に宅地開発されて新興住宅地となっていたことも書きました。英国で最初、つまり世界最初のラグビークラブ、そこにワトスンも所属していたことが書かれています。

フラワー・ガーデン まだ食料の買い置きも少なく、昼食の用意も面倒なこともあって近所のブラックヒースのマークス・アンド・スペンサーでサンドイッチでも買ってグリニッジ公園に行こうということになりました。昼からは気温もぐんぐん上がって20度近くまでになるということなので、家の中は肌寒い感じだったのですが、思い切ってセーターは脱いでジャケットだけで出かけました。
 いつものことですが、若い人はほとんどが半袖、履物もサンダルという夏のような軽装が多いのですが、こちらは血の気も多くない人種ですから暖かい服装で十分。

チャールトンハウス画像資料 チャールトン・ハウスにまつわる話を書いてきましたが、人物に焦点をあわせて何回か書いてみたいと思います。
 その第一回として取り上げたいのは、この館を建てたアダム・ニュートン(Adam Newton)です。ほぼ同時代の科学者であるアイザック・ニュートンIsaac Newton)と同姓ですが、アイザックがイングランド人であるのに対し、アダムはスコットランドの人です。
 アダムは長らくフランスのポワトゥー(Poitou)にある学校で教師として過ごした学者ですが、スコットランドに戻って1600年ごろに、ジェームズ6世(後のイングランド王)の息子であるヘンリー王子(Henry Frederick Stuart)の家庭教師(tutor)に指名されました。

 チャールトン・ハウスにまつわる人のことを調べて書いていると、英国の大転換期の光景が現実感をもって迫ってきます。年代順に出来事をまとめて見ます。
☆アダム・ニュートン=チャールトン・ハウス建設者
☆ヘンリー・ニュートン=アダム・ニュートンの次男
  • 1603 スコットランドのジェームズ6世がイングランドの王位に付く。
  • 1605 アダム・ニュートンがイングランド帰化、ダーラム司教就任
  • 1606 アダム・ニュートンがチャールトン・マナー購入
  • 1607 チャールトンハウス着工
  • 1610 家庭教師終了
  • 1612 チャールトンハウス完成 ヘンリー王子死去 アダム・ニュートンがチャールズ皇太子の出納長官に就任
  • 1618 ヘンリー・ニュートン誕生
  • 1620 アダム・ニュートンが準男爵(baronet)に叙せられると同時にダーラム司教売却
  • 1625 チャールズ1世王位継承
  • 1630 アダム・ニュートン死去
  • 1632 ヘンリー・ニュートン法曹院(Inner Temple)に加盟を許される
  •         〃       ケンブリッジで学士号(MA)を取得
  • 1642 エッジヒルの戦い(英国内乱の始まり)ヘンリー・ニュートン参戦
  • 1645 ネーズビーの戦いで王が敗北
  • 1648 ヘンリー・ニュートンの領地が議会に没収される
  • 1649 チャールズ1世処刑 共和政の始まり
  • 1660 チャールズ2世王位に就く 共和政の終わり
 年表でわかるように、チャールトン・ハウスの主はスコットランドの学者の系統で、スコットランド王がイングランドを統治するようになったこととあわせて昇進して貴族にまでのぼります。ところが、人気の無かったチャールズ1世のために内乱がおき、当然王に従うしかなかったチャールトン・ハウスの主は没落することになりました。
 この間、わずか半世紀の出来事でした。チャールトンは学者あがりの新興貴族に領有されたために、その後も長く農業が振興されなかったと考えられます。

 
 また、サンドピットといわれる砂やチョーク、ライム・ストーン(石灰岩)などを産出する高山が領内に発見されたため、農村というよりも労働者の村として近世まで経営されることになりました。19世紀になって、他の地域に送れて囲い込みがおこなわれたのはそういう経緯のためであろうと想像できます。
 細かく違いはあるものの、チャールトン・パークをはじめロンドンにある緑地や広場は、近年整備されたものではなく、中世からの歴史的光景であることがわかります。

charlton house 昨日はオープンハウス・ロンドンの初日(2011年9月17日)に旅行記作家(肩書きはいくらもあるんですが)のデフォーの墓参りを兼ねてシティーCity of Londonを訪ね、17世紀のロンドンの様子を垣間見てきました。

 今日は同じオープンハウスの二日目に、何度も触れているご近所のチャールトン・ハウスCharlton Houseを訪ねたことを書きます。ここは入会地という記事で触れた囲い込みを行った領主のマナーハウスでした。
 しかし、これはもともとマナーハウスとして建てられたものではありません。1607年から12年の間の5年を費やしてダーラム司教Dean of Durhamであったアダム・ニュートンが、ジェームズ一世の子供のヘンリー王子の養育のために建てたものです。そこで、この建物は「ジャコビアンのもっとも美しい建物the finest and best preserved Jacobean mansion in the London area」と言われるわけです。(ジャコブはジェームズのラテン語読み)

モニュメント 先に書きましたホーンフェアというブログ記事のなかで、ダニエル・デフォーについて触れましたが、彼の著書である'A Tour Through the Whole Island of Great Britain'は、非常に興味深いものです。
 現在の英国は古いものがよく残っていて、時代劇映画の撮影もセット無しで街中で撮影できるとまで言われています。その古き良き英国の姿が出来上がっていったのが、まさにデフォーの時代だったのです。

 彼が生まれたのは1660年のことで、彼が6歳のときにロンドンは大火に見舞われます。上記の彼の著作にもこのことは書かれていますが、これ以降は木造家屋が禁止され、現在のロンドンの街並みができあがったので、現在の英国への変貌を象徴する出来事だったのです。

 昨日と今日(2011年9月17・18日)は、ちょうどロンドンのオープンハウスの日です。色々な建物に入ることができる日ですから、私も出かけることにしてデフォーのお墓にも参ってくることにしました。


horn fair.jpeg 昨日書いた「入会地」という記事にでてきたチャールトン・パークの緑地はホーン・フェアというお祭りで有名だったところです。そこは一度「夏祭り」でもご紹介しました。どんなお祭りだったかという説明のためにはよく「ロビンソン・クルーソー」で有名なダニエル・デフォー本が引用されます。そこには下記のように書いてあります。
Charleton, a village famous, or rather infamous for the yearly collected rabble of mad-people, at Horn-Fair; the rudeness of which I cannot but think, is such as ought to be suppressed, and indeed in a civiliz'd well govern'd nation, it may well be said to be unsufferable. The mob indeed at that time take all kinds of liberties, and the women are especially impudent for that day; as if it was a day that justify'd the giving themselves a loose to all manner of indecency and immodesty, without any reproach, or without suffering the censure which such behaviour would deserve at another time.
 この紹介文を読んでちょっとばかりあきれた方も多いでしょう。でも、書いたのがダニエル・デフォーですから、大げさに書いてありますから、割り引いて考えたほうが良いんじゃないかと思います。ところが、彼が見た18世紀初頭のチャールトン・ホーン・フェアは彼が主張したとおり19世紀の終わりがけには法律により弾圧されてしまいます。

入会地(common)

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clapham common.jpegクラパム・コモン
「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情ちゅうじょう)をあわれ)んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまりしげ)からざる大道の横手馬乗場へと余をらっ)し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、
上記は夏目漱石の「自転車日記」の一節です。五ヶ所転々とした漱石はクラパム・ジャンクション近くのチェース81番地(81 The Chase, London SW4 0NR)に越して、後救出されるまでここで鬱々とした留学(単に古本を買って読んでるだけのものを留学と呼ぶなら)生活をすごしました。


教会区(Parish)

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parish church 先日、ヘンリー八世(Henry VIII)について記事を書いたときに英国国教会(わかりにくいので以降はイングランド国教会)の行政への貢献について書きましたが、現在でも残っていることがよく分かるのが教会区教会(Parish Church)の存在です。
 教会区は、18、9世紀の英国文学でもよく出てきます。あの時期は教会は領地を持っていて、住民からの徴税もできますから、教会区の牧師の任免権は相続されたり売買されたりしていて興味深いものです。
 ジェイン・オースティンのプライドと偏見(Pride and Prejudice)にもうまく牧師権を得た俗物の牧師が登場しますし、そのほかの作品でもほとんどが裕福な結婚を目指す話ですが、牧師が登場するのはそういう訳です。
flowershow.jpeg ハンプトンコートと聞くと思い出すのはヘンリー八世とその后の幽霊だと言いましたが、そんな人は少ないのかも知れません。
 特に英国好きな人だったらハンプトンコートのガーデニングショー(Hampton Court Palace Flower Show)でしょう。これは世界最大のガーデニングショーだなんていわれているようです。今年も7月に開催されたので、家内は行きたがっていましたが、結局行かなかったようです。


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