英国文学の最近のブログ記事

norwood builder.jpeg 先日、アンドロイド携帯を手に入れて使っていますが、新しい使い方はもちろん、PCでやっていたことを代替している部分もあります。いつでも身近にありますからPCより使い勝手がいい部分もあるからです。
 その一番は電子ブックの閲覧です。紙の本は絶対になくならないとは思いますが、電子ブックならではの利便性が携帯電話で閲覧することで飛躍的に高まったと思います。PCより格段に読みやすいのです。また、私は新刊本はもともと読みませんから、日本の本でも英国の本でも欲しいものはほぼ無料でダウンロードできます。昨日読んだのが「ノーウッドの建築家」'The Adventure of the Norwood Builder'という「ホームズの帰還」'The Return of Sherlock Holmes'のなかの短編です。

 シャーロックホームズは、日本で文庫本ですべて翻訳されていますから全部読みました。それで、頭に入っているので非常に読みやすいわけですが、こんな短編でも読むのは一日がかりです。ここで出てくる地名が題名にあるノーウッドと事件に巻き込まれた事務弁護士の家があるブラックヒースです。

ディケンズ 英国に来て最初のころに、ディケンズの二都物語に関連した記事を書きました。それはブラックヒースを通るシューターズヒル・ロードについて「ああ、これがあのディケンズの小説の冒頭に出てくるシューターズヒル・ロードなんだ!」と感激して書いたものです。

 そして、小説の中に出てくる坂道はこんな平らなところだったのかな。とバスで通るたびに思っていました。ブラックヒースのあっただろうグリーンの平原の端に坂道がありますから、ここがその現場かなとも思ったりしましたが、その先はブラックヒースではありません。まあ、小説はドキュメンタリーじゃないし、当時の人にもシューターズヒルの名を出せばどのあたりかわかるくらい有名なとこだったんだろうと納得していたんです。


ドアの前 19世紀がまさに終わろうとする1900年10月28日に、ロンドン生活の第一歩を踏み出した夏目漱石はブルームズベリーの一角に仮の宿を置きました。ここは今でも留学生が多く住んでいます。漱石が寄宿した76番地も当時のまま残っています。一時はドアがはずされていたとも聞いていますが、今はドアもあり番地も表示されています。漱石はここが4階建てと書いていますが、実際は3階と地階です。ビクトリア朝の建物にはよくあるもので、現在の英国の建物だと1階にあるキッチンや洗濯場は地階にあります。そして、使用人の居室もそこにあり、文字通り下働きのための区域でした。でも、人工照明の乏しい当時の知恵として、明り取りの堀が掘ってあるのが見えますね。一階は玄関ホールや応接間、書斎などを置き、バスルームは2階。ベッドルームは2階以上にあります。

 ここは大英博物館も近いところです。この博物館は当時は図書館も併設していて世界中の碩学が集っているところでした。
 資本論を書いたカール・マルクスも、既にその第三部まで公刊して、まだ毎日をその図書館で研究を続けている、ちょうどそのころです。とはいえ漱石の頭の中には既に亡くなったカーライルのことしかなかったようで、彼の著書にも行動にも全くマルクスの影は見えません。歴史学者でも経済学者でもなく、英語教師であった漱石の守備範囲からは全く外れていたのでしょう。

チェイニー

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 英国に来てから、いろいろなところを見物してあるいていますが、郊外とはいえかなり都心に近い高級住宅地であるチェルシーに来てみたのにはわけがあります。それは、渡英に先立って「倫敦塔」などの英国関連著書があり、彼自身英語教師として少なからず英国文学とのかかわりがあり、1900年といいますから100年以上前に渡英経験がある夏目漱石を読み直してきたからです。
 読み直したというよりは、「我輩は猫である」「坊ちゃん」「道草」などを中学生のころによんだだけどいう、普通の日本人と同じ程度の漱石に関する読書暦しかありませんでしたから初めて読んだといっても間違いじゃありません。「吾輩は猫である」でさえ「こんなこと書いてあったかなぁ」と思うことしばしばで、おそらく中学生のころは読んでいるうちに退屈になって読み飛ばしたものと思われます。人生経験をつむと、漱石が書いていることもよくわかる部分が多いですし、難しいところは「また衒学的な悪い癖がでてる」程度に読み飛ばしますから、面白いだけで全く苦になりませんでした。

 その漱石がロンドン時代の思い出を書いているものの中に「カーライル博物館」がありますが、その博物館がチェルシーにあるからというのが今回の小旅行の動機です。
 「我輩は猫である」に『しかし自分が胃病で苦しんでいるさい)だか ら、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だ から自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」 と)め付けたので主人は黙然もくねん)としていた。という部分があります。初めのほうなので、なんとなく記憶されているかたも多いでしょう。当時の文学者にとって、カーライルはとても馴染み深く尊敬すべき人物として記憶されていたということでしょう。


ダーウィン邸

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 ダーウィン邸(ダウン・ハウス)については、すでに三つ目の記事となりますが、かなり思い入れがあったとご理解ください。ダウン・チャーチのバス停からは細い道がダウン・ハウスの前を通って続いています。次のバスの出発時間は一時間後ですが、十分往復できるはずです。
 この道を歩く前に、やはり以前に同じケントのセヴン・オークスにあり行ったことのある屋敷のことを思い出していました。ここはノール・ハウスともノール・キャッスルとも言われず、ただのノールですが、現在の英国王室がフランスからブリテン島を侵略したとき以来続いている貴族の屋敷で、王族が訪問したときに泊まる寝室なども備えた壮麗な館です。バージニア・ウルフの「オーランドー」の舞台のモデルとなったところでもあります。

 これが、ダウンの少し南にあり、位置的にも似通っていますから、英国の工業化以降の産業資本家がよくやったように、ダーウィンも田舎で領主然として生活していたのではないかと連想しました。
 さて、2011年6月24日(金)ダーウィンのダウン・ハウスの場所への経路をtfl(ロンドン交通局)のサイトで確かめて、乗り換えの場所と乗るべきバスの番号を書いたメモを握り締めて出かけました。
wyndclifのバス停 今年の夏は気温が上がらず肌寒い日が続いていましたが、いつものブラックヒース・ラグビークラブの前のバス停では青空が見えます。ここから54番のバスに乗りルイシャムを経て旧ケント州の市場町ブロムリーを経てダウンの村に向かいます。
 今回の旅の目的はダーウィンの研究成果に触れようというわけではなく、彼がどのような環境のなかで暮らしていたのかを感じることが目的です。


 2009年のことですから、もう2年前になります。ダーウィン生誕200年の記念行事が各地で開催され、私もロンドンの自然史博物館にダーウィン展を見に行ったことを思い出します。
50315_143922578989763_2537401_n.jpg 今回渡英して、バスの定期券を手に入れたことから乗車可能な地域のうちロンドン南東部の地図を眺め回しているうちにダーウィンの屋敷があったダウン(downe)を見つけました。屋敷の名前はDown Houseでダウンのつづりがちょっと違いますが、そのわけは知りません。

 私がダーウィンに興味を持ったのはその業績ももちろんですが、好きで読み始めた19世紀ごろからの英国文学から得た「時代の空気」のようなものを端的に象徴するような気がしたからです。

 家族は全員仕事にでかけて、ちょっと風邪気味のために雨がふりはじめたので、シャーロックホームズでも読み返していると「事件簿」の「サセックスの吸血鬼」でまたご近所の地名が出てきました。
 ワトスンがブラックヒース(ラグビークラブ)で選手をしていたことが語られているんです。

 ブラックヒースは先日書いたディケンズの「二都物語」のなかでも出てきていましたが、時代背景が100年ほども古いので、同じ地名でもちょっとイメージが違います。

 もともとブラックヒースという地名は黒死病で死んだ人を生めたといところ、一説では黒人を埋めたというところから出た地名ですが、二都物語のときから、あたり一面が荒野だったときに唯一あった集落として語られていますし、ホームズのときには英国最古のラグビークラブが設立されるほどの地域になっています。

シュータズヒル

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「十一月もおそ)くのある金曜日の夜、この物語と交渉のある人物の中の最初の人の前に横わっていたのは、ドーヴァー街道であった。そのドーヴァー街道は、その人の前にと同じく、シューターズヒルをがたがたと登ってゆくドーヴァー通いの駅逓馬車の先に横わっているのであった。その人は駅逓馬車の脇に沿うて泥濘の中を阪路を歩いて登っていたのである が、他の乗客たちもやはりそうしていた。それは、何も彼等がこういう場合に少しでも歩行運動に趣味を持っていたからではなく、その丘も、馬具も、泥濘ぬかるみ)も、馬車も、みんなひどく厄介なものだったので、馬どもはそれまでにもう三度も立ち停ったし、おまけに一度などは、ブラックヒースへ馬車を曳き戻そうという反抗的な意思をもって、街道を横切って馬車を牽き曲げたからなのである。
 これはチャールズ・ディケンズの「二都物語(岩波文庫:佐々木直次郎)」の冒頭部分です。

ピッパ

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AFP026901_00.qui.jpg先日(2011/04/29)に行われた英国王室の結婚式にちなんで、ピッパという名前が多く報道されています。「キャサリン妃の妹、ピッパさんの人気が急上昇」みたいにね。

ところで、このピッパというのは変な名前だなと思いましたが、どうも本名はpilippaというようです。というのも、記事には pippa — pardon, Philippa みたいに書かれていますから。失礼ながら、この騒ぎも数日で消えそうな気もしますが、私が気になったのはずっと以前に読んだチャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」の主人公ピップのことです。

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