英国に来てから、いろいろなところを見物してあるいていますが、郊外とはいえかなり都心に近い高級住宅地であるチェルシーに来てみたのにはわけがあります。それは、渡英に先立って「倫敦塔」などの英国関連著書があり、彼自身英語教師として少なからず英国文学とのかかわりがあり、1900年といいますから100年以上前に渡英経験がある夏目漱石を読み直してきたからです。
読み直したというよりは、「我輩は猫である」「坊ちゃん」「道草」などを中学生のころによんだだけどいう、普通の日本人と同じ程度の漱石に関する読書暦しかありませんでしたから初めて読んだといっても間違いじゃありません。「吾輩は猫である」でさえ「こんなこと書いてあったかなぁ」と思うことしばしばで、おそらく中学生のころは読んでいるうちに退屈になって読み飛ばしたものと思われます。人生経験をつむと、漱石が書いていることもよくわかる部分が多いですし、難しいところは「また衒学的な悪い癖がでてる」程度に読み飛ばしますから、面白いだけで全く苦になりませんでした。
その漱石がロンドン時代の思い出を書いているものの中に「カーライル博物館」がありますが、その博物館がチェルシーにあるからというのが今回の小旅行の動機です。
「我輩は猫である」に『しかし自分が胃病で苦しんでいる際
ダーウィン邸(ダウン・ハウス)については、すでに三つ目の記事となりますが、かなり思い入れがあったとご理解ください。ダウン・チャーチのバス停からは細い道がダウン・ハウスの前を通って続いています。次のバスの出発時間は一時間後ですが、十分往復できるはずです。
この道を歩く前に、やはり以前に同じケントのセヴン・オークスにあり行ったことのある屋敷のことを思い出していました。ここはノール・ハウスともノール・キャッスルとも言われず、ただのノールですが、現在の英国王室がフランスからブリテン島を侵略したとき以来続いている貴族の屋敷で、王族が訪問したときに泊まる寝室なども備えた壮麗な館です。バージニア・ウルフの「オーランドー」の舞台のモデルとなったところでもあります。
これが、ダウンの少し南にあり、位置的にも似通っていますから、英国の工業化以降の産業資本家がよくやったように、ダーウィンも田舎で領主然として生活していたのではないかと連想しました。
家族は全員仕事にでかけて、ちょっと風邪気味のために雨がふりはじめたので、シャーロックホームズでも読み返していると「事件簿」の「サセックスの吸血鬼」でまたご近所の地名が出てきました。
ワトスンがブラックヒース(ラグビークラブ)で選手をしていたことが語られているんです。
ブラックヒースは先日書いたディケンズの「二都物語」のなかでも出てきていましたが、時代背景が100年ほども古いので、同じ地名でもちょっとイメージが違います。
もともとブラックヒースという地名は黒死病で死んだ人を生めたといところ、一説では黒人を埋めたというところから出た地名ですが、二都物語のときから、あたり一面が荒野だったときに唯一あった集落として語られていますし、ホームズのときには英国最古のラグビークラブが設立されるほどの地域になっています。
「十一月も晩(」
これはチャールズ・ディケンズの「二都物語(岩波文庫:佐々木直次郎)」の冒頭部分です。